滋賀県人の日記

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【北陸4都駅舎物語】Vol.4 福井駅

福井駅に立つと、まず目に入るのは恐竜…そう、恐竜が駅にいる。福井県勝山市に恐竜博物館というものが存在しており、そのPRのためである。福井県では恐竜の化石が多く発掘されており、恐竜をアピールするため、2016年に西口の開発に合わせて動く恐竜のモニュメントを設置した。西口に恐竜像が設置されるより昔の2010年に筆者が福井を訪問した際、かつての東口にも旅行客の目を惹くものがあった。駅前に謎の高架橋がポツンと佇んでいたのである。その高架橋は並走する北陸本線えちぜん鉄道とも繋がっておらず、距離も短く、何にも使用されていなかった。高架橋の麓に置いてあった一つの看板がその高架橋の正体を明かしていた。そこには「北陸新幹線新駅」と書かれていた。
 
この高架は、2005年に在来線が高架化された際に、将来北陸新幹線が延伸される事を見越して、予めホーム部分のみを完成させて用地を確保したものである。北陸本線と並走するえちぜん鉄道も高架化が決定しており、2018年に新幹線の高架橋真横に自線の高架駅が完成するまで、新幹線の高架橋を仮駅として使用していた。
 
比較的最近に完成した近代的な駅舎とは対照的に、福井駅には最近まで自動改札機が設置されていなかった。2018年に福井駅を含む北陸本線交通系ICカードに対応したのに合わせて自動改札機が設置されたが、自動改札機が設置されたのはJR西日本管内の府県の中では一番最後であった。また、福井は2010年代まで国鉄型の列車が多く残っていたのも特徴である。その残っていた国鉄型も特徴的なものが多く、457系や581/583系を改造した419系などのように、かつて急行形として運用されてきたものが多かったのが特徴である。幼い頃、在来線で福井へ行った際、457系の古いボックスシートに座りながら、駅弁を食べた思い出がある。419系には中間車を先頭車化改造したものもあり、簡素で平らな先頭車のその顔から「食パン列車」とも呼ばれていた。高架の新しい福井駅のホームに、国鉄型の急行形列車が停まっている光景はまさに福井ならではであった。
 
そんな急行形列車であるが、急行形であるため、乗降扉が車両両端にしかなく、また扉自体も幅が狭いため、混雑時の乗降に時間がかかっていた。その問題点もあってか、日本各地で運用されていた急行形列車は比較的早期に引退していった。そんな中でも北陸本線ではしばらく現役であったが、北陸新幹線開業に伴う北陸本線金沢以北の第三セクター移管の際に新型車両の521系が増備され、現在は全て引退している。新幹線の開業は北陸の鉄道史にとって大きな転換点であった。
 
福井駅の新幹線駅舎は当初、3階建ての高架駅を建設し、2階に京福電鉄、3階に北陸新幹線のホームが設置される予定であった。しかし、3階建ての駅舎は景観的、予算的にも現実的ではなく、さらに計画決定時に京福電鉄の経営状況が悪化、廃線の検討がされている状況であった。工事認可を優先した結果、京福電鉄の駅を新幹線駅と分離させることで決着がついた。三国芦原線LRT化させ、駅西口の福井鉄道駅に乗り入れさせる案や、新幹線とえちぜん鉄道が単線で高架を共有するという案まで出たようだが、結果的に京福電鉄、現在のえちぜん鉄道の駅も独立して高架化させることになった。その結果西側を在来線、東側をえちぜん鉄道の高架に挟まれる形になり、土地の確保ができないことから、新幹線駅が島式1面2線の小規模な駅になってしまった。本来であればこの失態に対し、都市計画の甘さとして鋭い指摘を受けるところかもしれないが、当時は京福廃線の可能性が拭えなかった以上致し方のないことである。むしろ、一度廃線の危機に陥りながらも見事復活を遂げたえちぜん鉄道という存在が嬉しい誤算であったと捉えてもいいのではないだろうか。なぜなら福井市民は鉄道存続の危機に一丸となって取り組み、自らの手で復活させ、そして現在に至るまで地元の鉄路を支えてきたからだ。新幹線駅開発計画の失敗と引き換えに、福井は福井自身のために必要なものを得たのである。必要なもの、それは「福井市民は、鉄道の必要性を誰よりも理解している」ということであった。
 
2001年、利用客減少で危機的な経営状況にあった京福電鉄が、2度にわたる正面衝突事故で運行休止になり、そのまま廃止となった。その後バス代行が行われたが、鉄道利用客が一斉に自家用車利用に切り替えたため、沿線道路の渋滞が悪化し、かえってマイナスの効果をもたらした。後に「負の社会実験」と呼ばれ語り継がれる事になるこの経験を経て、沿線市民の間では鉄道の復活を望む声が次第に大きくなっていく。市民の鉄道復活に向けた活動が実り、2003年には自治体出資の第三セクターである「えちぜん鉄道」が設立され、一部を除く京福電鉄の路線を引き継いだ。その後もえちぜん鉄道自治体からの補助による安定した経営の下で、沿線住民の要望に沿った運営を進めた。一連の活動を経て鉄道の重要性を認識した沿線住民の理解もあって利用客も順調に増加した。2016年には福井鉄道福武線三国芦原線相互直通運転も始まり、えちぜん鉄道は地域の鉄道会社として現在も成長を続けている。
 
福井市民は、京福電鉄廃線の危機を乗り越え、故郷の鉄路を守ってきた。そんな故郷にもうすぐ新幹線がやってくる。実は福井にはもう一つ解決すべき課題がある。それは並行在来線JR北陸本線の存在である。北陸本線はかつてより「特急街道」と呼ばれるほど特急列車が多く走り、大阪と金沢を結ぶ特急サンダーバード福井県民にとって、東京、あるいは大阪に出かける上でなくてはならない足であり、実際北陸本線の収益の大多数を特急列車が占めている。そんな北陸本線沿線に新幹線が開業すれば、特急が担っていた遠距離輸送は新幹線が引き継ぎ、新幹線と並走する在来線はJRから自治体が運営する第三セクターに移管される。しかし新幹線は敦賀までであり、大阪から福井にアクセスする場合、このままでは敦賀駅にて乗り換えの必要が生じてしまう。この乗り換えによる利便性低下は、富山関西間でも見られており、今後の課題になっている。
さらに、JR北陸本線を継承する第三セクター鉄道会社が新たに設立された際、福井県福井鉄道えちぜん鉄道に加えて3社もの地方鉄道会社を抱える事になる。いずれかの会社の経営統合も視野に入れた検討がなされているが、各社とも運賃や社員の賃金に加え、路線自体が持つ性格も異なるため、容易に解決できる問題ではないのだ。
福井は新幹線の開業に向けてこれからも多くの課題に取り組んでいかなければならないのである。
 
例え他の都市に劣る1面2線の小さな島式ホームだとしても、福井市民は東京まで一本で続く鉄路を歓迎し、そして誇りに思う事だろう。鉄道の重要性を身を以て感じ、そして長く故郷の鉄路を守ってきたそのプライドがある限り、福井の駅は輝き続けるに違いない。