滋賀県人の日記

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【旅行記】仙台遠征2日目 石巻線/気仙沼BRT乗りつぶし 20190905

こんにちは。
仙台旅行の続きを
 
2日目は天気があまり良くなさそうだったので乗り鉄メインで行くことに。
仙台→(仙石東北ライン)→石巻→女川→小牛田→前谷地→柳津→気仙沼→一ノ関→仙台のルートで乗り潰しを行う。

仙石東北ラインの特別快速で石巻へ。乗車するのは仙石東北ライン専用系列のHB-E210系
交流電化の東北本線から直流電化の仙石線に転線する為の連絡線が非電化のため、この車両はディーゼルカーである。ただしハイブリッドシステムのため、所々電気も使っている車両。最近作られた気動車ということもあって、パワフルで結構速い。

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仙石東北ライン専用のHB-E210系

JR東日本お得意の(?)ハイブリッドディーゼルカーである

特別快速で停車駅が少ないこともあって一時間弱で石巻に到着。仙石線ホームから移動して石巻線ホームへ。
 
仙石線のホームが他と少し離れているのは、元々仙石線が私鉄として開業したためである。東北本線が交流電化にも関わらず、仙石線だけ直流電化なのも同様の理由である。

石巻線完乗のため、キハ110に乗って女川へ。
実は女川は前々から行きたいと思っていた場所。降りて観光するか直前まで迷ったが、次の列車が1時間半後で、今後の乗り潰しスケジュールにも大いに影響するので泣く泣く諦めることに。
 
かつて存在した女川駅の旧駅舎の階段にはチリ地震津波到達水位が線引きされており、当時の惨状を後世に伝えていた。だが、東日本大震災津波で駅舎そのものが全壊したため、現存していない。これだけでもあの日の津波の威力がどれほどであったかがわかる。現在は温泉を併設した3階建ての新しい駅舎が建設されており、女川の玄関口としての役割を果たしている。
 

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震災後再建された女川駅

温泉施設も併設されており、街の交流拠点となっている

そんな女川の駅前には新しい商店が立ち並び、まさに「女川のまちびらき」といった様相であった。しかし、列車ダイヤの都合で滞在時間はわずか7分。後ろ髪を引かれる思いで折り返し列車に飛び乗った。いつかまた再訪して、町をゆっくり散策してみたいと思う。
 
石巻で数十分停車。その間に駅のNewdaysで昼食を購入。引き続き乗車し小牛田到着をもって石巻線完乗。
 
そしてそのまま折り返し前谷地まで乗車。前谷地から気仙沼線に乗り換え柳津まで。

 
柳津で列車を降り、ここから先はBRT区間に入る。ここから先、柳津から気仙沼まではBRTで2時間弱である。気仙沼線志津川町を中心に津波で甚大な被害を受けたため、柳津から気仙沼の間がBRTに切り替えられた。BRT区間のうち、7割は専用道路を走るが、志津川町内を中心に一般道路も多く走行する。キハ40に乗りたい気持ちが強かったが、東日本大震災で被災した路線のBRT転換によって、余剰となった車両(主にキハ110など)に押し出される形で東北地方のキハ40は急減してしまった。

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柳津駅

訪問から2ヶ月後、BRT区間の鉄道事業廃止届が提出されたため、

事実上の気仙沼線の終着駅になってしまった。

BRTの専用道は線路1本分の幅しかないのでバスが通るにはやや狭いといったような感じ。通れないわけではないが...やや奥まった住宅街の道路ほどの幅と言えばわかりやすいだろうか。レールの上を走る鉄道と違って、バスはハンドル操作を必要とするため、余裕の少ない道路幅では少し運転が大変そうな印象を受けた。
 
駅間に交換スペースがあるのだが、このスペース、両側に2車線が膨らんだ形で、交換がない場合でも進行方向左側の車線に入って、信号が青に変わるまで停車しなければならない。システムの都合上仕方ないのだが、この先の専用道でも度々この停車があったので、乗客である筆者でも少し面倒な印象を受けた。もう少し道路幅があれば、より高速での運転が可能になるかもしれない。鉄道ほどスピードが出ないというのがバスの弱点である。
 

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BRT同士の行き違い

このような待避所が駅間に多数設けられている

内陸ではトンネルが続くが、南三陸町内に入ると一変、広い砂地とたくさんの工事用トラックの光景が現れる。ここは震災で甚大な被害を受けた場所。現在は町全体をかさ上げする工事が行われている。津波が5階部分まで到達しながらも住民が屋上に避難し難を逃れたという高野会館が現在も当時のまま残されていた。震災から8年、多くの街では復興が進展しており、被災した建造物や瓦礫は撤去されて更地になっている場所が多かったため、被災した建造物が現存しているのを見るのはこれが初めてであった。年月の経過の早さに驚くと共に、震災の被害の甚大さを改めて実感した。
 
志津川の町を抜け、しばらく進むとまた山道に入る。南三陸町内のBRT運行経路は何度か変更されているようで、BRTの廃道らしきものもあった。
 
本吉駅で乗務員交代、定刻より2,3分遅れていたが、あわせて乗客の買い出し、トイレ休憩も行われた。乗務員も急いでいる様子ではなく、この手の休憩はここでは日常なのかもしれない。ただ路線バスで休憩というのは少し珍しい光景である。
 
この先気仙沼線は海岸線に沿って走っていく。大谷海岸駅は3階建ての立派な建物の道の駅に併設された駅で、線路の向こう側には海水浴場もあり、「日本一海水浴場に近い駅」として知られていた。しかし海岸に近いことから津波による被害は甚大で、道の駅の建物は流失こそ免れたものの、損傷が激しかったため解体されている。また駅周辺の土地の地盤沈下が著しく、地盤の嵩上げ工事に合わせてBRTの駅は国道沿いに移転している。現在跡地には農産物直売所のみが残り、道の駅としての営業を続けている。

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大谷海岸駅跡 土地の嵩上げ工事のためBRTの走る国道の高さが高いのがわかる

かつての道の駅は写真の左側にあった

一方で大谷海岸駅の隣駅である陸前階上駅では、鉄道線時代のホームがBRT転換後もそのまま残っており、キハ40が今にも入線しそうな雰囲気であった。気仙沼線の周辺駅の中でもこの陸前階上駅だけは海から離れており、津波の被害を免れている。思えばあの震災から8年以上が経過し、当時の鉄道線の面影を残すものは、路盤以外ほとんど消えてしまったが、この駅だけはかつてのJR気仙沼線の面影を強く残している。
 

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鉄道線時代の駅名標が残る陸前階上

内陸のため、津波の被害を受けなかった

気仙沼に到着。大船渡BRTも乗りたかったが、今回は仙台に滞在して日帰りで乗り潰しをしているので、大船渡BRTは諦めて大船渡線(鉄道線)で一ノ関まで出ることにする。
 
ちなみに、私の訪問から数ヶ月後、JR東日本はBRTでの復旧となっている気仙沼線大船渡線における鉄道事業廃止届を提出した。これから先、よほどのことがない限り、気仙沼の沿線に鉄道がやってくる事はもうないだろう。

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気仙沼駅構内はBRTの発着場に改装された

かつてはここにもレールが敷かれていた

 
さて、これから私が乗る大船渡線は大きく迂回した線形となっている。その昔、自分の街に鉄道を誘致しようとした結果多数の町を経由するために何度も迂回せざるを得なくなった事がきっかけである。諺をもじった「我田引鉄」という表現もこの事例から来ている。その線形から、大船渡線は「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が付けられている。
(ちなみに「我田引鉄」は岐阜羽島東海道新幹線を通すよう図った大野伴睦の事例を由来とする、という説もあるようだがどちらも似たようなものだろう)
 

 

乗客は私含め10名程度。ボックスシートに一人座り、ジョイント音を聴きながらぼんやりと過ごす。ウトウトしていると、摺沢で地元の高校生が大量に乗車。気付けば筆者のボックスシートには女子高生のグループ3人が座っていた。一人だけすごく気まずいのだが、寝ていた私に配慮してか、小声で会話をしていた。配慮してくださったことに感謝しつつ、私自身常識的な範囲の声の大きさなら人の会話は全く気にならない方なので、もう少し大きい声で喋ってもらってもよかったのに、と思った。そんな私の心配をよそに、彼女たちは数駅先で降りて行った。
 
「ドラゴンレール」こと大船渡線はひたすら山間部を走り抜けていく。そして私はただぼんやりと車窓を眺めている。ファンではない人たちからすれば、暇な移動時間に過ぎないのだろうが、乗り鉄からすればこの時間こそが至福の時なのである。
 
一ノ関に到着。仙台以北の東北本線は既に乗車済みの区間であるので、後は帰るだけである。調べてみると、なんと701系の2両編成での運用。
混雑していたら…と思ったが、あまり混んでおらず普通に座る事が出来た。よくよく考えると帰宅時間帯の仙台方面行きなら、そりゃ空いてるか…。
 
結局仙台駅まで混み合うような状況にはならなかった。仙台駅手前で、線路確認のための非常ブレーキがかかり、2,3分遅れたもののそれ以外は何事もなく無事に仙台駅に到着。この日の乗り潰しを終えた。
 

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この日の晩ご飯はラーメン