滋賀県人の日記

書きたい事を書いていくだけのブログです。旅行の記録とか思い出とか。

【北陸4都駅物語】Vol.1 新潟駅

突然だが、皆さんは北陸の4都市に行ったことはあるだろうか。
あくまで私自身の定義であるが、北陸4都市とは新潟、富山、金沢、福井を指す。
この4都市は、日本海側、雪国の玄関口として、それぞれ独自の歴史、個性を持っている。
ここでは、そんな4県の各駅をご紹介していきたいと思う。
 
新潟駅は北陸4都で唯一のJR東日本管轄の駅である。日本海側最大の都市である新潟の玄関口としての役割を果たす新潟駅は、上越新幹線の終着駅であるほか、在来線は越後線信越本線白新線の3線が乗り入れ、かつては特急北越や大阪からの急行きたぐになども発着するなど、日本海側最大の都市の名に恥じないような、日本海側の一大ターミナルとしての歴史を誇っている。

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新潟駅万代口駅舎

趣のある駅舎だが、駅の高架化にあわせて姿を消す

 
元々の新潟駅は4面7線であり、万代口直結の相対式ホームである1番線を除いて、2〜7番線は島式ホームで構成されていた。福井、金沢、富山の北陸3都市駅が次々に高架化、近代化を果たしていく中、国鉄時代の面影を多く残していたこの駅も、2018年にようやく一部在来線の高架化が行われた。
 
2011年より高架化工事が本格化し、将来の高架駅の用地にあたる5〜7番線を封鎖、代替として1番線の東端に繋がる1面2線の島式終端ホームが設けられ、8番線、9番線として使用を開始した。この8〜9番線は構造上、越後線方面の線路とは繋がっていないため、白新線信越本線方面の列車が使用している。また新潟駅の高架化により、新潟駅の収容能力が低下することが決定していたため、白山駅を2面3線化する工事も行われた。
 
高架化工事期間中、4番線は島式ホームの半分以上が工事用の防音柵で遮られており、ホーム幅員が減少していた。列車を待つ乗客が狭いホームに溢れるなか列車を入線させるのは、流石に危険とJR側も判断したのか、このホームを主に新潟終着の列車や、入換等の回送列車といった列車に割り当てて、乗客が狭いホームに留まることがないようにしていたようだ。新潟終着の列車であれば、乗客の流れこそ悪いかもしれないが、乗客を下ろした列車が発車しない限り、接触事故や転落事故が発生する可能性も無いし、そもそも幸運にも回送列車をすぐ発車させなければならないほど新潟駅に余裕がないわけではなかったため、この判断に至ったと推測する。

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新潟駅4番線に入線する回送列車

ホームは狭く、列車待ちをするスペースはほとんどない

2018年4月の一部高架化により地上4番線は消滅している

だがそもそもなぜ4番線のホーム幅員をこれほどまで狭くしなければいけなかったのか。理由は後述する。
 
そして、国鉄時代の趣を多く残すこの駅は、裏を返せば、近代化、バリアフリー化が遅れていた駅でもあった。エスカレーターやエレベーターが設置されたのは2010年代であり、ホーム上では、発車標は愚か自動放送すらなく、列車の接近ごとに駅員による肉声放送が行われていた。と言うのも、越後線信越本線白新線の3線の列車が、8〜9番線を除くどのホームにも入線可能であり、方面別にホームの振り分けを行っていないため、結果としてホーム運用が複雑化し、自動放送のシステムが対応できないためである。高架化された現在も、ホームの運用形態は変わっていないため、発車メロディー以外の自動放送は導入されていない。だが発車標はLCDの立派なものが導入されており、こちらはしっかり運用できているようだ。技術進歩が著しい今、将来の自動放送導入も少し期待してみてもいいかもしれない。
 
そんな新潟駅在来線ホームも、2018年4月に高架ホームへ移行した。高架の5番線は新幹線の11番線と隣接しており、羽越本線からの特急いなほの乗客が、ホーム上の乗り換え改札を通って新幹線へ乗り換えできるようになった。
 
そんな新潟駅の表玄関といえばやはり万代口であろう。万代口側の駅舎は国鉄時代からのもので、駅舎の上層階部には新潟支社が入っている。万代口横にあるスイッチバック式のバスターミナルからは、多くのバスがひっきりなしに発着している。2015年にBRTの「萬代橋ライン」が開業すると、駅前に連節バスも乗り入れるようになったが、こちらはバスターミナル横の専用乗り場から発着する。高架化工事が完了すると、南北のバスターミナルを統合、整備し、わかりやすいバス乗り場へと生まれ変わる予定である。
 
この万代口の駅舎であるが、駅の北側を万代口の駅舎に、南側を新幹線の高架に阻まれていることにより、在来線部分の土地にはあまり余裕がない。結果として在来線の高架化工事の際に、先述のようなホーム幅ギリギリまで工事柵を立てるといった苦労を強いられたのではないかと思われる。JR東日本新潟支社をはじめ多くのテナントを擁している万代口駅舎をすぐに解体するわけにもいかず、まして上越新幹線の高架ホームを壊すなんてことも不可能である。そう考えてみると8〜9番線の設置も苦肉の策であったと言えるだろう。新潟駅の高架化工事は、用地の制約を受けながらもギリギリの状態で工事が進められているのである。
 
私が新潟駅に初めて降り立ったのは2013年3月末、眠い目を擦りながら、仮設の8番線に到着したムーンライトえちごから降り立った時であった。3月末といえども、東北地方の3月はまだまだ寒く、雪が舞っていた。MLえちごから降り立った人々は、それぞれ目的の列車に向かって足を進めていた。私もまた1番線に停車している快速村上行き(18キッパーからは「村上快速」と呼ばれていた)に乗り換え、羽越本線を北上したのであった。かつての新潟駅は間違いなく、東京方面、富山方面、山形方面へと3方に分岐する一大ターミナルであった。
 

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「村上快速」と呼ばれた快速村上行き(2013年3月撮影)

当時はE127系での運行であった。

写真のV8編成は北陸新幹線開業後、第三セクターへ譲渡されている。

村上快速は、新潟から白新・羽越線方面の始発列車であり、同線唯一の快速列車であった。新潟駅4:55発というダイヤ設定にも関わらず、MLえちごと接続が良かったため、18切符シーズンともなれば同列車から乗り換えた18キッパーたちでなかなかの乗車率を誇っていた。筆者が乗車した2013年にはロングシートE127系で運行されており、睡眠不足の18キッパー達にとっては有難くない存在であったはずだが、そんなE127系も一部を除いて北陸新幹線開業により発足した第三セクターに譲渡され、現在の村上快速はE129系で運転されているようだ。もっとも、MLえちごが過去の列車となった今となっては、18キッパーにはもうどうでもいいことではあるが…。

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新宿駅で出発を待つ485系K1編成(2013年3月撮影)

ムーンライトえちご」の列車名も過去のものになってしまった

 
日本海側の一大ターミナルとして華やかな歴史を歩んできた新潟駅。北陸、信越本線の特急列車が北陸新幹線にその役目を譲ってからは、北陸4県の中でも高架化、近代化の面で一歩遅れを取ってきた。ただ、まちづくり政策の優等生である富山や、観光地として最盛期真っ只中である金沢と比較すれば、劣っているように見えるのは必然的なもので、むしろかつての日本海側の一台ターミナルとして栄えた歴史を鑑みれば、その古さは決して恥ずべきものではない。だが現在の新潟駅には、583系の急行きたぐにも、485系ムーンライトえちごの姿ももうない。かつての在来線一大ターミナルとして栄えた新潟駅の歴史は終わりつつある。新幹線開業の祝福ムードの旋風に乗りながら、繁栄を謳歌する北陸3都を尻目に、新潟は無風の中、変わろうとしている。
 
現在進む高架化事業の完了は、新潟駅の栄光の歴史からの転換を意味する。一大ターミナルのシンボルとして、多くの旅立ちを送り出し、また多くの旅人を迎え入れてきた万代口駅舎も、高架化関連事業で姿を消す。雪が降りしきる中、駅員の肉声による乗り換え案内を聞きながら、乗り換え列車の待つホームへと急ぐ...そんなどこか懐かしさを覚えるような新潟駅の一コマは、もう思い出の中にしかないのだ。

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かつての国鉄を思わせる組み合わせ

115系の引退も近い

 
高架化事業完了、すなわちターミナル駅としての新たな歴史の幕開けを夢見ながら、今日も新潟駅では工事が続く。